社員インタビュー T.Mさん
学生時代は縁がなかった英語
一念発起で、今は英語漬けの毎日
T.Mさん
プロジェクト管理グループ
入社
何かを変えたい
そんな思いが私を大きく変えた
私は三重県生まれの三重県育ち。このエリアは製造業が盛んで、学校を卒業後そのまま地元企業へ就職するという道を選択しました。当時は、入社後の1年間、東京の工場で実習を受ける新入社員訓練制度がありました。若かったですから、「1年東京に行ける!」というのが直接の入社の動機でした。実習は東芝府中工場に配属され、半日は座学、もう半日でモノづくりを行い、電気・電子の基礎を学びました。合宿や運動会などもあり、仲間でワイワイ、学生の延長気分で楽しく勉強することができました。
実習を終え、現在の当社の前身である株式会社 東芝の産業エレクトロニクス機器部(現三重工場)に配属され、2008年まで製品組立作業に従事しました。工場のラインでは『定位置定作業』と言って、誰がやっても同じ結果を出さなければなりません。「こんな感じで定年まで勤めるのか…?何かを変えたい…」そんな疑問を抱き始めたころ、製造ラインの一部が海外に移管されるという話を耳にし、これが私の大きな転機となりました。

直感を信じて英語を勉強
それが今の自分の礎となった
まず思い付いたのが「英語を身につけよう」でした。当社はにジョイントベンチャー企業となり、海外サイトとの言葉の壁を感じていました。その時点では身につくかどうかは分かりませんでしたが、とにかくチャレンジしてみようと。定期的に会社で実施している英語の試験を受けたのですが、これが意外と悪くなかったんですね。気分を良くして続けていたら、徐々に製造ラインが海外へ移管され縮小されていきました。そのタイミングで私の英語の成果を評価してくれていた部長から、品質管理グループへの応援要請がありました。「はい、行きます!」と即答です(笑)。応援期間が終わり、そのまま品質管理グループへ異動になりました。最初に担当したのはフィールドサービスグループで、製品販売後の不具合調査です。何かしらの原因でこういう異常動作をするんだと、この時初めて知りました。2014年からは名古屋に拠点を移し、機種品質責任者として故障解析後の製品改善に従事しました。製造・組立の工場がインドネシアに、その工場が手配する部品メーカもアジア諸国にありましたので、報告や調査の依頼、折衝はすべて英語です。ここから、ほぼ毎日が英語で会話という仕事になりました。

課題に向かって
創意工夫で前進あるのみ現在はプロジェクト管理グループに所属し、製品に対する設計変更の事由に対して情報を収集し設計担当者へ依頼、変更、製品への適用までのスケジュール管理を行っています。品質面での問題であったり部品の製造終息に伴うものであったり、理由はさまざまです。比較的容易な課題から深刻なものまでいろいろなケースがありますが、そのたびに違った対応が必要ですので常に新鮮な気持ちで取り組むことができています。創意工夫も必要ですし行動しなければ先に進むことができませんので、自ずと責任感も生まれ大きな達成感を得ることができます。社内のいろいろな方にたくさんのサポートをしていただいているからこそ今の自分があると思っています。もっともっとたくさんの仲間を増やし、助け合いながら課題を解決し会社に貢献していきたいです。自分一人では何もできません。人脈は宝です。